でょおのフューリアスなブログ

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【自分語り】人生の7割をフォードマスタングと過ごしたブロガーの話

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どうもでょおです。

今回はブログを運営して初めて自分語りしたいと思います。私は身バレが怖いので基本的に自分語りは全くしなかったのですが、このブログの読者さんにもっと親近感を持ってほしいと思ったので今日は語りますよ。

ワイルドスピードシリーズのブログを書くぐらいなんだから私がアメ車好きなのは伝わってるかと思います。私はその中でも「フォード マスタング」が大好きなんですよね。

そこで今日は私とマスタングの思い出について赤裸々に自伝を語りたいと思います。長いので興味がない方はスルーしていただいてOKですよ。ではどうぞ。

でょおの母親がマスタング好き

そもそも私でょおがマスタングファンになったのは母の影響です。

私の母は1964年生まれ、マスタングと同い年に生まれました。母親は変人の私から見ても変わった人間で、幼い頃から車が好きな女の子だったそうです。幼い頃の母の家庭はお金持ちでした。母の父、つまり私の祖父が地元の建築会社の社長で長者番付に名前が載るほどでした。

そんな祖父の趣味は車でした。母親曰く半年に一回は車を乗り換えるほどで、その遍歴は私の知る限りフォードタウナス、いすゞ117クーペ(初期型ハンドメイド)、ポンティアックファイヤーバードトランザム3台などです。

そんな裕福な子供時代に母親が祖父に渇望したのがマスタングでした。

しかし祖父はどうしてもマスタングが好きになれず、マスタングのオーナーになったことは一度もありませんでした。

マスタングは幸せの象徴

それから何十年か経ち母親は結婚、私でょおやその他の兄弟も出産した後の20世紀末。5代目マスタングがフルモデルチェンジを行い5代目後期が登場する時のことです。

5代目後期マスタングは大々的に宣伝され、母親も新聞でその広告を見ることになります。新しく生まれ変わった姿のマスタングを見た母親は夫、つまり私の父親の事務所に新聞の切り抜きを貼付けて、マスタングをねだりました。

あまり裕福な家庭でなかったものの、父親はバレンタインデーの日に母親へ5代目前期のマスタングをプレゼントしました。

【自分語り】人生の7割をフォードマスタングと過ごしたブロガーの話

母親はこの緑色の車が本当に大好きだったのを覚えています。

その後、両親は離婚しました。残念なことに今も仲が悪く、顔を合わせても口を聞かないほどです。私にとってマスタングは両親が仲良かった頃を思い出す象徴なのです。

新しいマスタングと母子家庭

両親の離婚後、私達兄弟は母親と暮らし母子家庭になりました。離婚後も母は父がプレゼントしたマスタングに乗り続けていましたが、マスタングは路上駐車時に衝突され廃車になりました。

修理費用がかなりの金額になるとのことで、保険を使い同程度の中古マスタングを購入することになります。そこでやってきたのが5代目後期マスタングです。

【自分語り】人生の7割をフォードマスタングと過ごしたブロガーの話

母はこの車が嫌いでした。母の嫌いな赤色の車で、音も控えめでした。最近まで母はこのマスタングのエンジンを直6だとずっと思っていたようです。(このマスタングに直6はなく、V6でした)

とどのつまり手に入れたその時から気に入ってませんでした。

この後、生活はどんどん厳しくなります。母は営業職に就きますが営業車は自家用車、つまりリッター6のマスタングで営業に行くことになります。それから日に日に大きくなる子供を乗せて外出するのに2ドアクーペのコンパクトカーは狭すぎます。

幸い母は営業能力が高く、どんどん高い成績をおさめ私たちを養いつつも貯金することが出来ました。

貯金が貯まった母親はダッジチャージャーを買おうと思っていました。ダッジチャージャーは4ドアで大きな子供をたくさん乗せても余裕がある車だからです。

ところが残念なことに母親はどうしても家を買わなければならない状況になり、ダッジチャージャーをあきらめました。

マスタングの継承

私たちが成人になった後、母親は私に「もうマスタングはやめようと思う」と言いました。私たちが成人し、母は再婚することになったからです。

この時に私は免許がなかったので「一度くらいマスタングを運転してみたかったな」と、深い意味もなく言ったのです。すると母親はもう一度だけ車検を通してあげるから免許を取ってきなさいと私に言いました。

免許取得後しばらくは母と車をシェアしていましたが、マスタングの下取りが安すぎるという理由で、母はマスタングを売らず私に授けました。

維持費が高いから捨てろと母は言いますが、その後5年経った今でもマスタングは私の愛車です。

母と違い私はこのマスタングが大好きだったからです。

私は「なぜ男子の私は赤いランドセルを使ってはいけないのか」と言うほど赤色が好きでしたし、たまに母が学校の送り迎えをマスタングでしてくれる時、みんなに注目されるのが好きでした。最高にイカした車で送り迎えする母親は自慢でしたし、羨望の的でした。

狭すぎるバックシートで兄弟喧嘩したことですらいい思い出です。

私にとってこのマスタングは大変な時期も一緒に過ごした兄弟みたいなものなのです。

たとえどれだけ6代目マスタングの人気が高かろうが、7代目マスタングが速かろうが、私にとって最高にかっこいいマスタングはこの5代目マスタングだけなのです。

最後に

かなり割愛したんですがそれでも長い文章になってしまいましたね。本当は母親のカマロ嫌いやサンダーバードの話、でょおの兄弟のことなども書きたかったんですが、倍ぐらいの容量になりそうなのであきらめました。

この話は実生活でも誰にも話したことはありません。

あとやっぱり身バレが気になります。このブログはそれなりにアクセス数あるので身バレしなければいいのですが。