出典:File:Grave of Paul Walker.JPG - Wikimedia Commons
どうもでょおです。
昨日は故ポール・ウォーカーへ向けて共演者が投稿した追悼のコメントをたくさん紹介しました。今日紹介するのはポール・ウォーカーの死因についてです。
正直気分は全く上がりませんが、「事故死」とは知っていても詳しい事まで分からない人もいるかと思いますのでまとめました。
故ポール・ウォーカーの事故発生日時
- 事故発生日:2013年11月30日
- 事故発生時間:15時30分
2013年11月30日、事故当日ポール・ウォーカーはフィリピン台風被害のチャリティイベントに参加していました。おそらく「フィリピン台風30号」のものだと思われます。
チャリティイベントに参加後、帰宅するために友達の運転する車(ポルシェカレラ)の助手席に乗車。その後この車が事故を起こしてしまいます。
故ポール・ウォーカーの死因
赤い2005年式ポルシェカレラGTを運転するポール・ウォーカーの友人ロジャー・ロダスは制限速度45マイル(約72km/h)の道を100マイル(160km/h)ほどで走行しており、カリフォルニア州サンタクラリタで街灯や街路樹に激突してしまいます。
ポール・ウォーカーの死因は「外傷と火傷」とされていることから、事故が起きた瞬間はまだ息があったということになります。ですが車がクラッシュした直後に爆発炎上し、ほぼ即死だったとのことです。
ロジャー・ロダスはポールにとって大切な友人だった
スピードの出し過ぎによって事故を起こした本人であるロジャー・ロダス。ポールのファンからは責められそうですが、彼もまた事故で死亡しました。
そんなロジャー・ロダスはポール・ウォーカーにとって大切な友人でした。ロジャー・ロダスはポールと同じくレースが大好きでポール・ウォーカーとの出会いはカリフォルニアレースクラブだったとのこと。
またロジャー・ロダスはフィナンシャルプランナーでポール・ウォーカーはその顧客だったとのことです。
ロジャー・ロダスはカーショップ「Always Evolving」のオーナー兼レースチームのキャプテンでした。ポール・ウォーカーもこのチームにドライバーとして在籍しており、ショップの共同経営者でした。二人で経営するカーショップは車のカスタムやチューニングを行うショップでしたが、援助者を二人同時に失ったショップはその後すぐに閉店しました。
遺族がポルシェに3件の訴訟を起こした
ポール・ウォーカーの死の原因はポルシェに欠陥があるとしてポルシェは遺族から3件の訴訟を起こされ損害賠償を求められました。
一件目はポール・ウォーカーの父、ポール・ウォーカー三世がポルシェに損害賠償を求めたもの。こちらはすでに示談に至りました。
二件目はポール・ウォーカーと共に死亡したロジャー・ロダスの妻がポルシェを相手取り訴訟を起こしたもの。ロジャー・ロダスの妻は敗訴しました。
そしてもっとも有名なのが三件目、ポール・ウォーカーの娘メドゥ・レイン・ウォーカーがポルシェを相手に訴訟を起こしたもの。16歳の時に訴訟を起こしたメドゥもいまや20歳。ポルシェとの訴訟は示談に終わり、その内容は非公開です。
また、ポルシェカレラを運転していた当のロジャー・ロダスは事故の責任があるとしてポールの娘メドゥ・ウォーカーはロダス側から1010万ドルの損害賠償金を受け取ることになりました。この金額は日本円にして約11億円です。
ポールと同じくワイルドスピードシリーズで主役を務めるヴィン・ディーゼルのギャラはアイスブレイクの時に約22億円。それを考えるとポール・ウォーカーが一生かけて稼ぐお金は11億円では、はした金ではないんじゃないでしょうか。
私だったら11億円あれば一生仕事しないわ。想像もつかない額ですね。まあ親を亡くしてるのでお金どうこうじゃないんだけども。
最後に
セレブは辛い出来事のあともゴタゴタと訴訟を起こしたり、いつまで経っても事故をひきずり続けないと行けなくて大変ですね。
訴訟問題の方は片付きましたがメドゥ・ウォーカーの母はアルコール依存症だったとのことで早く幸せになってほしいですね。
ではまた。